2022年度版 デジタル通貨の世界的潮流
ハナエ:山岡さん、こんにちは。日銀の頃から最先端の決済インフラを見てこられた山岡さんに、デジタル通貨に関して本日はいろいろと伺っていきたいと思います。
山岡浩巳(以下、山岡):はい、宜しくお願いします。
デジタル通貨が生まれた背景
ハナエ:そもそもなぜ、デジタル通貨が必要なのでしょうか?
山岡:これまでの通貨インフラは、現金に代表される紙の技術に基づいていました。しかし、ブロックチェーンや分散型台帳といった新しい分散型のデジタル技術が登場するなか、紙の技術に基づいていた現金や有価証券、さまざまな資産などを、分散型のデジタル技術で構築代替しようとする動きが出てきました。
その一つが、2009年に登場した暗号資産であるビットコインです。さらに、昨年話題となったNFT(Non-Fungible Token:代替不可能なトークン)も、そうしたデジタル資産の一つです。
中央銀行デジタル通貨(CBDC)や民間発行デジタル通貨も、「支払決済手段を新しい技術でデジタル化する」という問題意識から議論が始まり、現在、世界各国が調査研究を進めています。いずれも、新しいデジタル技術によって人々の暮らしをどう便利にするか、経済をどう発展させ、社会をどう豊かにするかという問題意識が背景となっています。
デジタル通貨の先陣を切った、バハマ・カンボジア
ハナエ:世界的に、デジタル通貨の社会実装はどのぐらい進んでいるのでしょうか?
山岡:中央銀行が発行するデジタル通貨という意味では、実際に発行にこぎつけた国は多くありません。2020年10月に世界で初めてCBDC「サンドダラー」を発行したのは、中米カリブ海のバハマです。その後しばらくしてから近隣の東カリブ諸国でもCBDCが発行されました。
なぜカリブ海域の島国でいち早くCBDCが取り入れられたかと言うと、小さな島がいくつもあるうえにハリケーンによく見舞われるため、物理的に現金を届けるのが時に困難となるという地理的要因がありました。
このような地理的条件の下で、現金に代わる通貨インフラを効率的に整備するにはどうすれば良いのかという課題がありました。
ハナエ:環境的な要因が大きかったわけですね。
山岡:また、カンボジアは「バコン」というデジタル通貨インフラを整備しました。もともとカンボジアでは、国内通貨のリエルの代わりに米ドルが広く使われており、このなかで、紙の現金を流通させるインフラを構築するのは大変であったという事情があります。
すなわち、米ドルが主要通貨であるなかで自国通貨リエルのための現金インフラを配備しようとすると、投資コストがかさみます。そこで、デジタル技術を活用し、一足飛びにモバイルペイメントのインフラを整備しようとしたわけです。また、バコンの整備を通じて、いずれは米ドル依存も引き下げ、政策の自主性を取り戻したいという狙いもありました。
なお、カンボジア中央銀行は、バコンはリエルも米ドルも載せることができる支払決済インフラであり、その意味でCBDCではないと公式に説明しています。
ハナエ:デジタル通貨でも、各国の取り組みはいろんなスタイルがあるんですね。
現金大国である日本とドイツ
ハナエ:日本も含めた先進国の事情はどうなのでしょうか?
山岡:先進諸国も状況は各国ごとに異なります。特に金融インフラが発達している国では、既存の金融インフラ、とりわけ銀行預金との関係が問題になります。
例えば、ドイツは既存の銀行システムが非常に発達した現金大国です。産業も銀行の融資をもとに成り立っており、銀行の資金仲介が経済に組み込まれています。
日銀にいた2016年に、ドイツの影響を色濃く受け、本部もフランクフルトにある欧州中央銀行(ECB)とCBDCの共同研究を立ち上げ、密接に意見交換を始めたのも、日銀とECBでは置かれている状況が似ており、同じ課題感を抱いていたことが背景にありました。
ハナエ:日本も相当な現金大国ですものね。
山岡:はい。国際比較で見ても日本の銀行の店舗数やATM数は圧倒的に多いです。銀行口座数は8億を超えており、平均して一人8個以上の口座を開設している計算です。
それは日本の銀行が細やかに現金インフラサービスを提供してくれたお陰ですが、デジタル時代ではハードルにもなり得るわけです。その一つに、店舗やATMインフラの固定費が重く、収益性を圧迫していることがあります。
ただ日本では銀行が支店やATMをたたむのに地域の反発も起こりやすく、2019年頃からATMの整理統合に積極的に乗り出していますが、減少テンポは他国に比べるとかなり緩やかです。
また日本はマニュアル作業の事務水準が高いため、行政事務をはじめ、デジタルよりも手作業に頼ってしまう傾向がいまだにあります。さらに、今後は高齢化の問題も加わっていきます。今後、80歳以上の高齢者は急速に増えると予想され、銀行店舗に来られない高齢者向けに、どう金融サービスやデジタル送金の利便性を高められるかを考える必要があります。
ハナエ:現金の方が安全であると考える人は多いですよね。
山岡:そうですね。そのため、「デジタルの方が使途制御できたり自動化できるので信頼できる」と思えるような環境をつくってあげることが大事だと思います。
クレジットカード大国のアメリカ
ハナエ:アメリカは事情がまた異なるのですか?
山岡:アメリカはバイデン大統領が22年にデジタル通貨の検討を始めたものの、各国の様子を見ている状況であり、世界の動きを見極めながら最後に決断するスタンスが濃厚です。
ハナエ:アメリカは現状を変える必要がないと考えているのですか?
山岡:米ドルは世界の基軸通貨として圧倒的地位を誇っており、クレジットカードなど民間ベースのデジタル決済手段も発達しているため、急いで動く必要はないと考えています。
アメリカではクレジットカードが非常に発達しているうえ、銀行は、紙の運送コストなどが負担となっていた小切手を減らすために、自らデビッドカードの普及を精力的に進めてきました。このため、とりわけCBDCは、民間が頑張って広めてきた決済サービスと競合してしまう可能性が高いと言えます。
ハナエ:アメリカも複雑な事情が絡み合っているわけですね。
山岡:そうです。ただ、アメリカでもクレジットカード手数料が3~10パーセントかかることについて「高すぎる」との批判があります。そこに低手数料のサービスを提供し、一気にシェアを伸ばしたのが有名なペイパルであり、民間同士の競争は激しいです。
このようなノンバンクの提供する決済サービスが競争圧力となり、今後、銀行も決済インフラの革新やデジタル通貨について真剣に考えざるを得ない状況になっていくと思います。
主要国中、デジタル通貨がもっとも進む中国
ハナエ:すでにCBDCの実証実験が始まっている中国はどうですか?
山岡:中国は2022年の北京冬季オリンピックでも中央銀行デジタル通貨「e-CNY」の試験発行をするなど、主要国のなかでCBDCの実験の取り組みは一番進んでいます。
これまで国内23ヶ所で、抽選に当たった人に200元(約3000円)分のデジタル人民元を配るなどのかたちで実証実験が行われました。ただ、人々がその後、デジタル人民元を好んで使い続けているわけではない報道が目立ちます。これは、AlipayやWeChat Payといった民間企業が提供するデジタル決済手段の方が、生活全般をカバーしていて便利という事情があるようです。
中国の民間巨大企業が提供するAlipayやWeChat Payなどのモバイル決済サービスでは、決済に紐付けて病院・レストランなどの予約から各種チケット購入やタクシーの手配まで、あらゆることが一つのプラットフォーム上で一気通貫でできます。
ユーザーからすると圧倒的に便利なサービスから乗り換えることはなかなかないわけです。そのため最近では中国当局も、デジタル人民元は、これが実現されたとしてもあくまで民間の支払決済手段の補完だと強調するようになっています。
ハナエ:やはり、民間のイノベーションが大事なわけですね。
山岡:民間であるがゆえに、決済や金融にとどまらない、さまざまな付加価値を載せることができるわけです。
世界全体的に、CBDCそのものが最善のソリューションかどうかということも議論の途中です。先進国で一番最初にデジタル通貨の検討を始めたスウェーデンですら、まだ結論が出せていません。
いずれにしても、中央銀行というのは特別な位置づけなので、民間銀行の役割を保持しながら、民間と協調して進めていくのが大勢だと思います。
ハナエ:それが今の世界的な流れであるわけですね。では次回は、具体的に中央銀行発行と民間発行では何が違うのか?どのように共存可能なのか?についてお聞きしていきたいと思います。