新しいテクノロジーの社会実装、キーワードは「アナロジー」
こんにちは。
「デジタル決済の未来をツクル」ディーカレットDCPのハナエです。
前回に引き続き、クロストークのお相手は編集者・キュレーターの塚田有那さんです。
テーマは「新しいテクノロジーの社会実装」。
暮らしを便利にする新技術。
でも、詳しいことはよくわからないし、なんだか不安...。
そんな新しいテクノロジーとの向き合い方を塚田さんにきいてみました。
キーワードは「アナロジー」。
デジタル通貨の普及のヒントも見えてきました!
前回までの記事 ▷ キュレーターに学ぶブロックチェーンとアートの関係 アートの視点からデジタル通貨を考える
“みんなが共有できるストーリー”としてのテクノロジー
塚田有那(以下、塚田):テクノロジーはすごいスピードで進化していますが、一方でテクノロジーの社会実装は一筋縄ではいきません。既存の社会規範と新しいテクノロジーのあいだで摩擦が起きることは少なくない。
例えば、自動運転は技術的には達成されていますが、現在の交通インフラやルールと折り合いがつかない部分も多々あります。また、自動運転で走行する車が事故を起こしたとき、その責任の所在をめぐっては倫理や哲学の範疇に及ぶ議論が必要です。自動運転に限らず、新しいテクノロジーを担う多くの人たちが、こういったジレンマを抱えています。
人間社会とテクノロジーの摩擦をいかに解消し、新しいコミュニケーションのかたちを作っていくか。今、多くの技術者や研究者が、このテーマに取り組んでいます。しかし、この課題に立ち向かうには、従来のようにテクノロジーやサイエンスの専門家だけで話し合うだけでは不十分で、哲学者や法律家など人文社会科学の専門家との協力関係が不可欠です。こうした領域を越境した交流は日本のみならず、欧米でも積極的に進められています。
時田一広(以下、時田):テクノロジーをうまく社会に浸透させていかないと、人々はどんどんテクノロジーに遅れをとってしまいます。こと日本には、テクノロジーの社会実装について考える機会が足りていなかったように思います。
中高年層のITリテラシーは世界から見ると大きく遅れを取っていますし、社会全体に目をやっても、例えばマイナンバー制度の本質もほとんど理解されていないと言ってよいでしょう。 マイナンバーで何がしたいのかの中身がきちんと議論されないまま、外側のシステムだけ広めようとしているのが現状です。テクノロジーを社会にインストールするには相当な課題がありますよね。
塚田:新しいテクノロジーや制度が紹介される時の大半の常套句は「いかに便利か」「いかに安全か」というものです。そして、それがテクノロジーの価値を測る唯一の指標になると、制度運用に少しでもボロが出るやいなや「やはり安全ではなかった!」とヒステリックな叩きが始まります。
しかし、新しいテクノロジーや制度には、もたらす実利以前に「設計思想」や「ビジョン」があります。そこが理解されなくては、いつまで経ってもテクノロジーは社会の血肉にはならないでしょう。サイエンティストや技術者の思想を、人文系研究者の知見と方法論を駆使して、“みんなが共有できるストーリー”として社会に広めていく。そういった取り組みが必要だと思います。
テクノロジーで文化を破壊してはいけない
ハナエ:そうはいっても、マイナンバー制度に不安を感じている人は少なくないですよね...?
塚田:そうですね。その不安感の根底には「国が準備した制度に国民はアクセスできないだろう」という気持ちがあるんだと思います。つまり、トップダウンには抗えないという一種の諦めが不安につながっているんだろうと。
以前、エストニアのブロックチェーン政策の担当者にインタビューしたことがあります。エストニアでもマイナンバー制度に類似した制度の運用を進めているのですが、日本とは幾分考え方が違います。例えば、マイナンバーに紐付く個人情報は警察などの国家権力も見ることができます。当然、その閲覧履歴はマイナンバー保有者本人も見ることができ、閲覧理由を情報開示請求することができます。
私はそこで「本当にそれは信頼できるのか?」とあえて質問してみました。すると、担当者の方は「私たちは政府を信頼しているのではなく、テクノロジーを信頼しているんだ」とおっしゃいました。それは非常に印象的でしたね。強固なシステムへの信頼は、政府や官僚への信頼に勝るということです。
時田:国家や政府の恒常性を盲信しないのは、旧共産圏の人々らしいですね。テクノロジーやシステムに対する信頼も、旧ソ連の情報システムを担った技術立国エストニアならではというべきでしょうか。
塚田:あくまでエストニアの考え方であって、日本人に同じように考えろと言っても無理があるのは承知していますが、それでも学ぶべきことはあると思いますね。日本では「お上」思想が根強く、アメリカではクレジットカード中心の商習慣が強固で、中国ではまた独自の制度が......といった具合に、どこの国にも特有の文化や決まりがあります。ブロックチェーンを社会基盤にするには、それらの文化といかになじんでいくかが重要になってくるのでしょう。
アナロジカルに考える、新しさのマイルドな受容
時田:新しいテクノロジーの普及においては、社会の文化に類似したシステムをデザインできるかどうかが重要なポイントになってきそうですね。
塚田:すでに馴染みのあるものに似せてつくるとか、未知のものを既知の事柄に置き換える“翻訳作業”が必要になってくると思います。テクノロジーの仕組みやメリットを説明するだけでは普及にとって十分とは言えません。既知とのアナロジーを考えていくなかで、初めて「使い方」が発見されていくのだと思います。
ハナエ:新しいテクノロジーに対するリテラシーを高めるという意味では、塚田さんたちが企画された展覧会「デジタル骨董展 ーこれからの価値と所有を考える」はおもしろい試みでしたね!
塚田:展覧会のテーマは「NFTアートは100年後の『骨董』になり得るか?」でした。骨董という文化の価値形成プロセスを紐解きながら、価値にとって必要な要素を因数分解してみたんです。すると、投機性、正統性、公共性など価値を担保する要素はさまざまであることがわかってきました。
NFTやデジタル通貨は新しいがゆえに、そこで起こっていることが縁遠くわかりにくいように感じられます。しかし、NFTやデジタル通貨が「何と似ているのか」と考えることで、既存の文化や習慣とのアナロジーの中でテクノロジーを評価できるようになる。そう考えていけば「便利か、安全か」だけではない価値基準の中でテクノロジーを評価することができるようになるはずです。
また、デジタル通貨を普及させるためには「インセンティブ」が必要になってくると思いますが、それは一体何なのか。時田さんはどうお考えですか?
時田:おっしゃる通りですね。現在インセンティブになり得ると考えているのは、システム理論上「銀行預金をクラウド上で自由に動かせるようになる」という点です。現状、銀行口座の預金は、それを預かっている銀行にしか動かせません。そこで私たちが共通のブロックチェーン領域を用意することで、各銀行のお金をクラウド上で自由に移動させるというサービス体験を提供することができます。これがインセンティブにできるかどうかが、私たちの課題ですね。
ハナエ:「デジタル骨董」のお話を聞くと、アートがテクノロジーを身近にしてくれる感じがしますね。テクノロジーを既存の世界観と結び付けることで、私たちの思考にどんな“拡張”が起こるのか、塚田さんに詳しくお話を伺います。デジタル通貨の未来も見えてくるかも!