私的所有は制限されるべき? 新しい時代の入口で「わたしたちの経済」を再考する
前回に引き続き、社会活動家の武井浩三さんとお話ししていきます。
今回のテーマは「経済の“これまで”と“これから”」。
お金と社会、わたしたちの暮らしの基盤はどんなふうに発達してきたのでしょうか?
武井さんが語る「未来のシナリオ」、あなたはどう思いますか?
前回までの記事 ▷
vol1|ブロックチェーンは「思想」 分散化と透明性がつくる社会のミライ
vol2|お金の本質は「分かち合い」と「助け合い」 新しいお金を幸せのツールにするために
モノがあっても心は貧しい
武井浩三(以下、武井):近代経済が発達した要因は大きく4つあると言われています。それは「物流」「情報流通」「金融市場」、これらの発達と「私有財産権の保護」です。近代以前の人々は、強権的な王や国にいつ財産を奪われるかわからないから、財産を蓄えなかったそうです。
武井:しかし、近代になって私有財産権が保護されたことで財産を蓄積することができるようになった。その結果、法人格が人間個人の寿命よりも長くなり、財産をプールする場が守られたことで、近代経済が急激に発達しました。
時田一広(以下、時田):さまざまな仕組みの発達と私有財産権の保護が、経済を発展させてきましたよね。
武井:でも、興味深いことに、最近になって逆転現象が起こっているんですよ。日本は「社会課題先進国」と言われていますが、そんな日本では今「精神的な貧困」が問題になっているんです。
ハナエ:それってどういうことですか?
武井:日本はこれまで世界屈指の経済発展を遂げてきました。物質的な豊かさは、すでに極地に達したと言っていいレベルです。なにより、めちゃくちゃ平和です。食べ物もおいしいし、どこに行っても安全で、ある程度の自由も保障されている。
物価が低いとか、先進国じゃないなんて言われますが、世界の国々と比べれば、相対的に「すごくいい国」と言っていいでしょう。しかし、私たちにも当然「生きづらさ」はあります。その原因は、どうやら物質的貧困ではないんですね。
「みんなのもの」が減っていく社会
武井:独立研究者で著作家の山口周さんがよく言うのは、「今の日本は物質的貧困という社会課題は解決されているが、文化的なもの、精神的なものが毀損されている」ということです。つまり、みんな自分の利益を追い求めることに一生懸命になりすぎて、文化や精神文明へのリスペクトを失っている。場合によってはそれらを傷つけたり、損なったりしていると。
これに対して山口さんは、土地などの私有財産を社会資本へ切り替える必要性にも言及しています。それによって文化やコミュニティ、公的領域の破壊が防げるのではないかと。
物質的な豊かさ、生産性を第一に考えるならば、さまざまな合理的措置が考えられます。例えば、国民皆保険をやめる。そうすれば、アメリカのように民間保険の任意制度にすれば医療・保険産業が急激に発達し、GDPは爆上がりするでしょう。しかし、その代わりに働けない人は社会から排除されるしかない。それって本当に「豊かな国」なんでしょうか?
ハナエ:あまりよくないですね。
武井:だからこそ、人は社会をつくって助け合ってきたわけですよね。社会から落伍しそうな人がいたらパブリックな領域で保護するし、コミュニティにとって価値ある不動産は共同で管理してきました。
明治維新以前は、村で共同管理されていた畑や井戸、山林がたくさんあったんです。つまり、特定の所有者のいない不動産が至る所に存在していた。この入会地(いりあいち)と呼ばれた地域のコモンズは、見方を変えれば「私的所有の制限」であるとも言えます。
一方、この公的な領域をGDP上昇のために削っていったのが、最近まで100年以上にわたって続いた流れだと僕は考えています。
私的所有を制限するのは世界の常識?
武井:ヨーロッパや東南アジアでは、外国人が不動産を買えないことが当たり前なんです。中国では土地は全て国のものなので、そもそも私的所有が起こり得ない。イギリスでさえも私的所有権には制限をかけていて、125年所有された土地は国に返還されます。その他アジアの国々でも、外国資本は49%までしか出資できないとか、そういう縛りはザラにあります。
時田:日本も昔はあらゆる私的所有に制限をかけていましたが、徐々に規制が緩和されてきたんですね。
武井:そもそも江戸時代の鎖国がそうでした。あれは国益を守るための政策だったわけです。僕も不動産を扱って気づいたんですが、世界中のお金持ちは株主と地主のたった2種類しかいません。それ以外はいないと言っても過言ではないと思います。逆算すれば、資本主義という「ゲーム」で勝ち組になりたいのであれば、どちらかになればいいわけです。
ハナエ:一見、シンプルな話ですが…。
武井:はい。それで社会が維持されるわけではありません。コロナ禍が明らかにしたように、社会を根底から支えているのはエッセンシャルワーカーと呼ばれる人々です。ただ、おかしなことに、彼らは社会にとって欠かせないにもかかわらず、全体的に所得が中央値以下の低所得者層です。
社会学者のデイビット・グレーバーの調査によれば、エッセンシャルワーカーが100円稼ぐごとに概ね1000円相当の社会的価値を生み出している一方、年収5000万円以上の富裕層は100円稼ぐごとに1000円分の社会的価値を毀損しているとされています。
時田:経済的価値と社会的価値が合っていないんですね。エッセンシャルワーカーの労働の価値や文化的景観を守るような社会活動に対してクレジットを出せたりしたら、いまの歪みは是正されるかもしれません。
武井:まさに、その通りですね。今後人類の向かうべき方向は「精神性の成長」だと思います。言い換えれば、目指すところは「分かち合い」だということです。
時田:私的所有と社会的価値の相剋は、ある程度豊かになったからこそ起きている問題ですからね。そろそろ、その次のステージに進まなくてはいけないですよね。
近未来のパワーシフト、やがて到来する「自然社会」を見すえて
武井:オムロンの創業者・立石一真さんは1970年に「SINIC理論」という未来予測理論を提唱しました。この理論によれば、サイエンスとテクノロジーと社会はお互いに影響し合いながら、円環的に成長しているとされています。
それは原始社会から手工業社会を経て工業社会、情報社会に移行した現在まで変わりません。この理論のおもしろいところは、その予測が現在までぴたりと当たっていることなんですよ。
時田:それは、興味深いですね。
武井:SINIC理論では、2020年から2025年は「最適化社会」とされています。そして2026年からは「自律社会」になり、2033年から「自然(じねん)社会」が始まると言われています。
モノが力を持つ社会から、人間の心や価値観が重視される社会に移り変わっていくというのが、SINIC理論の未来予想です。そのパワーシフトが起こる転換期が2025年頃と言われており、まさに今ですが、破壊と創造を繰り返す混沌とした時代になると言われています。
2025年から2026年頃には、自然や人権に対する世界規模のコンセンサスが得られて、僕はそこから「自律社会」が幕を開けるのではないかと思っています。
武井:SINIC理論では2033年以降の未来予測がありませんが、それは立石さん曰く「予測の根拠としてきたGDPでは測れないものが、これ以降たくさん出現するから予測が立てられない」からだと。僕は、この2033年こそが「貨幣経済の終わり」なのではないかと睨んでいます。
時田:おもしろいですね。そういった変化のなかで、人々の価値観が「モノと自己利益」から「人と社会」へと傾いていくんでしょうね。
武井:そうですね。2033年と言わず、できるだけ早く、そんな社会を実現させたいですね。
- 編集後記 -
皆さま、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。いつもとは少し違った角度の新鮮なお話しで、興味深かったのではないでしょうか?
今回の対談は、時田さんを初めとするDE BEYONDスタッフが音声ラジオ番組「A SCOPE」の武井さんの会を聞いて感銘を受け、いつか武井さんとお話しできたら嬉しいねと会話をしていたのですが、ありがたいことに、今回ご縁があって実現することができたのです…!
また、武井さんのお心遣いで、素敵なアフリカローズをいただいてしまいました🌷
ケニアからフェアトレードで直輸入しているそうで、一本でも鮮やかで存在感が強く、そして生命力もすごいのです。
早速、自宅の花瓶に飾らせていただきました。
武井さん、本当にありがとうございました!